清川ニュース

<<気密棟梁の49年史>> …この仕事を選びやり抜く決意と想い…青森で床暖房のいらない暖かい高性能住宅造を造る想い

私、清川が青森県の
地場工務店として
床暖房がなくても暖かい
ジョイコスの高性能住宅家
になぜこだわるのか?

みなさんに知っていただきたく、
棟梁の49年の道のりを
書いてみました。

≪幼年期≫

昭和45年に
青森県上北郡野辺地町に
長男で生まれ、
父が大工の職人から独立する頃に
東北町に自宅と作業場を
設け現在に至っております。

父は、若いころ色々な職を
経験したそうです。

トラックの助手から、
林業関係の木材の間伐や
手元などをする中、
祖父からいきなり

「明日から大工の

弟子に行きなさい」

と反強制的に連れられ
6年間の見習いを終え、
職人になったそうです。

その後、

<清川工務店>を立ち上げ

地元密着での、
仕事をしてきました。

小学と中学は、
地区の学校に入りました。

この当時は、
とてもスポーツが盛んな時代で
陸上.スキーの練習に
毎日、明け暮れた記憶が
あります。

≪進路選択≫

中学3年になり、
将来何になるか?

何をしたいのか色々悩み、
考えました。

小学高学年の頃から、
母親の料理をする姿を見ていて、
見よう見真似でガス台に
向かい、卵焼き.チャーハンを
作っていた事を思い出し、
料理人になりたいと思い
調理科のある学校を探していた頃

ふと

父親の仕事の事を、

考えてみました。

≪想いからの決断≫

父親からは、自分の将来は
自分で悩み考え決めなさいと
幼年期から、
よく言われていましたので、
自分的には料理の道に
進もうと頭の中では、
早くから決めていました。

ある日父親に、

「俺がこの工務店を

継がなくてもいいの?」

と問いただすと!

「お前の人生だから、

やりたい事をすればいい。」

と一言!

その時見た、
父親の背中が
なぜか
寂しそうに見えた事を、
今でもはっきり
覚えています。

これが転機となり、
小さい頃から父親の仕事をする姿、
背中をまじかに見ていましたし、
木と木を組合せて造り上げて
いく大工職にとても驚き、
感動していた事に気ずき、
大工になろうと決断しました。

≪弟子の状況≫

高校は建築科のある
工業系に進み、
卒業後、専門校にも進学と
考えましたが実務経験が
早くしたく、
就職することにしました。

そこで、父親からの助言で
早く職人になるんだったら、
住込みで仕事を出来る会社に
いったほうがいいと、
促され某会社に、
4年間住込みで仕事を
させてもらいました。

これが、大変でした。

(きつい*汚い*安い)

世間でいう3K!

朝早くから、
夜遅くまで仕事をこなし
当時の職人さんの休みは、
月の2回の日曜日だけ。

初めての賃金が、
日雇いで差引されて

1日。2800円。

1年間で昇給した金額が

500円。

洗濯から、裁縫
自分で出来る事は、
何でもやりました。

この時期の同級生は、
車やバイクを買い彼女を作り、
青春しているな~と
当時はしみじみ感じました。

そんな時期でしたので、
このままでは自分が
ダメになると思い、
自分自身に言い聞かせていた
事があります!

仕事は、
一生しなければならない。

今、覚えないといけない
事は
沢山ある。

車やバイクは、いつでも買える!

この事を、自分に言い聞かせ
当時はとても頑張った記憶が
あります。

本当にこの時期は友達、同級生が 
うらやましかったです。

≪人間関係と努力≫

この会社に就職したとき、
自分のほかにもう一人、
兄弟弟子がいました。

この子は、
技術訓練校を卒業してから
就職してきましたので、
刃物の使い方や研ぎ方が
とてもうまく、
会社の職人さんにとても
褒められていたので、
自分も何とか上手になろうと
毎晩、毎夜、遅くまで一人で
冬の時期も練習した事を
今でも思い出します。

マジ辛かったです。

でも、この兄弟弟子と
ともに努力した事が精神的にも、
肉体的にも大きく成長できたように
思います。

この後、自分の下に5人前後、
新しい弟子が入りましたが、
1年で辞める子 半年、3日で
夜逃げする子もあり、
大半が辞めていきました。

この時、
会社の社長に言われたことは
お前が、年上なんだから 
みんなをまとめ上げ相談にも
耳を傾け、
きちんと指示を出し動かさなきゃ
ダメじゃないか!!
よく言われてました。

今思うと、
この時期に人間関係の重要性を
勉強していたんだと思います。

この住込みから得たものは、
一生忘れられません!

≪職業訓練校で得たもの≫

当時、職業訓練校にも
入学させて頂きました。

自分は、3年間通いましたが
この時に自分で、一生懸命
努力、勉強したことがあります。

それは、1年間に1回行われる
技能大会でした。

この大会に3年連続出場し、
連続で入賞しました。

又 3年目には、念願の1位に輝き
TVや新聞にも掲載されました。

毎晩深夜まで、
勉強し技術を磨いた思い出が
あります。

このことが、
技能士の資格をとる、
きっかけになり 
最終的に厚生労働省認定の、
建築大工1級技能士を取りました。

又、
これが人との繋がりになり
様々な職人さんや仲間にも出会い、
怒られたり
時には優しく指導も受けながら、
仕事に対する心構えなど
色々な観点から指導を
受けたことも、
とても良かったです。

≪住宅造りの転機≫

その後、
自宅に戻り父親の仕事を
手伝いながら色々な会社の
仕事をしたくて、
6年間ぐらいは大手住宅会社や
ハウスメーカー、
地場の工務店など
10社ほど転々として、
これからの住宅造りを
学んでおりました。

この間に結婚し

子供が出来ました。

この子が生まれたとき、
自分たち夫婦は加工場の
2階に居住スペース造り、
FFストーブとファンヒーターで、
東北の寒い季節を
過ごしていましたが、
子供が3歳の時 
気管支炎喘息になったり
父親も高血圧症になり、
これからの住まい造りを
変えていかなければ、
子供も親も病気が治らないと考え、
高性能住宅の勉強会や見学会などに
参加をするようになりました。

≪ジョイ.コス住宅
システムとの出会い≫

自分は、
色々な高性能住宅の考え方や
施工方法などを勉強、
施工していく中で
常になっとくいかない
ことが多々あり、
勉強会を通じ専門の講師や
メーカー担当者に幾度、
疑問を投げかけてきましたが、
かえってくる言葉は、
どれもあやふやなものでした。

しかし当時、
当社と取引しておりました
建材屋の支店長さんが、
ジョイコスの佐藤社長の話を
聞いて見てもらえませんか?と 
紹介され、
半信半疑で話を聞く機会に
参加してみました。

断熱性能

気密性能

換気

の意味など

今までの工法の中でも1番、
理にかなっていると思いました。

中でも自分が様々な方々に
話を聞いてきた、
換気の意味を
一番理解し的確な答えを、

いただいたのが佐藤社長でした。

自分なりに、
高性能住宅の工法は
これだと確信し今まで
自分が勉強したノウハウと、
ジョイコス住宅システムを
組合わせれば、
必ず良い住宅が出来るはず
とかんがえ、
自宅を新築しました。

≪家造りへの想い≫

自分自身が高性能住宅に住み、
体感した想いなどを
お客様に伝えられることが
一番だと考えております。

自宅を建築したおかげで、
子供の気管支炎喘息
父の高血圧症も、
わずか1年足らずで症状が和らぎ、
今はもう完治しております。

高性能住宅はすごいです!

自分が考える、
家造りへの想いは
お客様の想いを感じ、

≪住む人の気持ちになる≫

この言葉を念頭に置き、
お客様のお役に立つ
仕事をしていく事だと思います。

これからの目標として、
自分自身のファンを創り他社では、
出来ない家造り目指し
 清川工務店だけができる
全ての事を、
お客様の為にやり遂げ 

今以上の超高性能住宅を

造り上げていきます!!!

《ジョイコス
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気密の考え

断熱の技術

換気の考え

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気密棟梁こと清川裕樹です!

気密棟梁

本当の高気密高断熱住宅を
青森で日々研究しております。
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